火の国、熊本へ。

熊本は昔、肥後国と呼ばれていたことと、火山が多いことから「火の国」とも称される。
熊本は雄大な自然の阿蘇や、美しい海と島々からなる天草など、
すばらしい自然と豊富な地下水に恵まれている。
豊かな自然と水の恵みから、多彩な食材が作られ、球磨焼酎をはじめとする熊本の銘酒も有名だ。
食の豊富さから「くまもと県南フードバレー構想」もはじまった。
今回は、食の魅力にあふれた熊本のおいしいワケを、おすそわけする。

Topic.1

戦国時代から続く馬肉文化を守る志。

戦国時代から続く馬肉文化を守る志。Senko farm

熊本県上益城郡千興ファーム

栄養豊富な牧草と名水、こだわりの自家製飼料でじっくり大きく育てる。その鮮度と旨みは、自然の恵みと愛情が育む味。今日も日本一の馬刺しを追求し続けている。

馬とともに、いままでもこれからも。

日本で馬肉を食べるようになったのは戦国時代。肥後国を統治していた加藤清正が飢えを凌ぐために食べたことが始まりとされている。以来、熊本では滋養強壮の食材として愛され、今も馬刺しは郷土料理として親しまれている。そんな特別な存在である馬を肥育から加工まで一貫生産し、全国に提供している唯一の会社が千興ファームだ。南阿蘇をはじめ県内3ヶ所に自主ファームを持ち、生産ラインでは部位を余すことなく加工。生肉はすぐに真空パックされ、約60時間の冷凍保存にかけられる。この時の赤黒い肉の色が新鮮な証だ。鮮度がいいものは調理する時に空気に触れると、鮮やかな桜色になる。「蓄霊之碑」と刻まれた墓碑がファームの敷地内に建てられている。この前で朝夕一礼をするのが日常の風景だ。社長の菅浩光さんに聞くと「会社のルールでも何でもないんですよ。」とのこと。馬を愛し感謝する気持ち。そして馬刺し文化を支えているという意識が根付いているのだ。最近は遠く離れた地でも専門店に行けば美しい桜肉を味わうことができる。次にお目にかかる時は少し想いを馳せてみてはいかがだろう。

馬とともに、いままでもこれからもの画像1

工場内は生肉を扱っているとは思えないほどきれいだ。最大のリスクである水分と温度の管理には、細心の注意を払っている。中は約8度に保たれていて、午前に製造を終えると、午後に2時間以上をかけて毎日自分たちの手で隅々まで清掃している。

馬とともに、いままでもこれからも2

馬刺しに適した馬を空輸し、育てる。

フランス、カナダで買い付けた馬をその地の契約牧場で約1〜2年育てた後、チャーター便を使って日本へ空輸する。そして、熊本県内の自主ファームで半年〜1年間かけて育てる。馬刺しに適した馬は約体重800〜1000kgにもなる。

馬刺しに適した馬を空輸し、育てる。の画像1

約90万坪もの広大な自主ファームで約200頭の馬がのびのびと大切に育てられている。エサは牧草に加え、麦、トウモロコシ、ビール粕など10数種類の穀物をブレンド。水は地下から汲み上げた阿蘇の伏流水を飲んでいる。

馬刺しに適した馬を空輸し、育てる。の画像2

Topic.2

い草の復興と、地域再生のために。

い草の復興と、地域再生のために。Inada Co.,Ltd.

熊本県八代市イナダ有限会社

国産い草の9割以上を生産する熊本県八代市で食用い草を育てる。畳用とは畑を分けて無農薬にこだわり、新鮮なものを加工している。

食用い草にかける思い。

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「い草は人類を救う。」と言ってはばからない。変人扱いもされたし、笑われもした。畳の生産量のピークは約30年前になる。当時、畳に使う糸を販売していた稲田さんは、ライフスタイルが西洋化し、輸入のい草がシェアを急速に伸ばす中、い草の需要に限界を感じていた。そして常識の枠を飛び越えてたどり着いたのが「食べられるい草」だった。成分分析をかけると食物繊維が圧倒的に多いことがわかった。ちょうど第6の栄養素として注目され始めた時期だったこともあり、農家の支援になると考えた。

無農薬のい草を育ててもらうために、取引先の農家150軒以上に栽培の協力をお願いして回ったが、すべて断られたという。なぜなら、畳表まで手がけるい草農家は、手間のかかる無農薬栽培に取り組むことは難しいからだ。ならば、と稲田さんは自ら生産者となることを決めた。どれだけ好奇の目を向けられようとも信念を貫いてきた。その姿に家族や応援者が付いて、今はもう笑う人はいない。い草の復興と地域の再生にかけた人生。その想いがまた引き継がれてゆく。

新しいスーパーフードとして、近年注目。

新しいスーパーフードとして、近年注目。の画像

食物繊維の含有量は、野菜の中でもトップクラス。「和のスーパーフード」として、近年はメディアで取り上げられることも増えてきたが、口コミで確実に売り上げを伸ばしてきた。

無農薬で栽培されたい草は、収穫後すぐにカットされ、乾燥させた後に粉末化される。い草パウダーを活用した商品は、お茶、麺、アイスと続々と開発が進んでいる。

Topic.3

らくのうマザーズ阿蘇ミルク牧場阿蘇の恵みをミルクに。

らくのうマザーズ阿蘇ミルク牧場阿蘇の恵みをミルクに。Aso milk ranch

熊本県阿蘇郡
らくのうマザーズ阿蘇ミルク牧場

牛乳の命である鮮度を守りながら、安全で安心な高品質な製品を製造している。「緑豊かなくまもとの味」は、まさしくここにしかないおいしさだ。

人と自然が共生する阿蘇。

人と自然が共生する阿蘇。の画像1

心地よい風が吹いてきた。熊本市内から車で40分ほどで、標高430メートルの高原に着いた。ここに阿蘇ミルク牧場はある。眼下には熊本平野が広がり、有明海の向こうには普賢岳を望むことができる。ここに来れば誰もが胸いっぱいに深呼吸をしたくなるだろう。牧場には牛舎をはじめミルク工場、レストラン、売店、ふれあい広場など酪農に関する施設が揃っていて、大人もこどもも1日過ごせる。ホルスタイン、ブラウンスイス、ジャージーなど5大品種の生乳をブレンドしたミルクはここだけのオリジナルだ。

また、本場フランスで修行を積んだ清水工場長が作るチーズも人気が高い。原料の生乳はすぐ脇の牛舎から運ばれたものだけを使うこだわりだ。生乳は温度変化や振動の影響を受けやすいため、同じ敷地内の搾りたてを使えるのでチーズ作りに最高の環境と言える。チーズとアイスはこどもから大人まで食べられるものを作っているので家族連れにもうれしい。ぜひ、次の旅行は阿蘇の大自然めがけて足を延ばしてみてはいかがだろう?

牛への愛情と命の大切さ。

乳牛は子牛の頃から計画的に育てられ、約5〜6年でその役目を終えるという。牛たちは精一杯ミルクを作り出すために生きているのだ。「だからこそ最後まで責任を持っていただく必要がある。」と教えてくれたのは、向中野さん。ここで働くため5年前に千葉から移住してきたという。人と自然が共生する阿蘇には人を動かす力と、酪農を愛する人たちの姿がある。

牛への愛情と命の大切さ。1
牛への愛情と命の大切さ。2

阿蘇の草原の維持と持続的農業。2013年に阿蘇は世界農業遺産に認定されている。1,000年以上に渡って行われてきた放牧や野焼きなどによる草原の管理、酪農や畜産はもちろん、稲作や畑作と緊密に結びついた草原の活用などが高く評価されたのだ。まさに農業遺産とも呼べるここにしかない自然と人の営みを肌で感じることができる。

「酪農と食の体験施設」として。阿蘇ミルク牧場の飼育員はみんな若くて元気だ。31歳のチームリーダーを筆頭に20代の飼育員たちが毎日愛情を持って育てている。いつも活気があり地元に愛されていて、家族連れや保育園の遠足のこどもたちが楽しそうに遊んでいるのが印象的だ。

Topic.4

味千ラーメン、半世紀の軌跡。

味千ラーメン、半世紀の軌跡。Ajisen Ramen

熊本県菊池郡味千ラーメン

健康を考慮した素材、他にはない味わい、そして感謝の気持ちを込めたラーメンを全世界に届け、より多くの方に喜んでもらえるオンリーワンの存在を目指している。

迫力、貫禄、圧倒的な存在感。社長の重光さんを形容しようとすると、そんな言葉が並ぶ。半世紀前に熊本で生まれた小さなラーメン店が、いまや世界に誇る一大チェーンへと成長した。その根幹にあるのは何かと尋ねると「感謝と奉仕」と即答だった。28歳で会社を受け継いでから23年間「何事にも感謝をする」「困っている人がいたら助ける」この2つをただひたすらに貫いてきたのだ。忘れもしない2016年の春、熊本を地震が襲った。本震ではすべてのライフラインが止まったが、重光さんは屈しなかった。自社は二の次。すぐに炊き出しをはじめ、被災者の人々に温かいラーメンを届けた。これまで成長を支えてくれた地元熊本の人たちが窮地に立たされている。重光さんにとっては当然の行動であった。「先義後利(道義を立て、利益を後にする)」を突き進む社長の姿勢が社員の心を束ね、会社の推進力となってきた。熊本で生まれ、世界に育てられた本物の味を伝えるために、重光さんは今日も義を貫く。

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熊本ラーメンとは?特徴である褐色のタレは千味油という。この千味油が豚骨の白いスープにコクと風味を醸し出す。これが一度食べたら忘れられない回帰性のある香り高い豚骨スープになるのだ。味千独自の風味を残し口臭を抑えるニンニクは欠かせない。

味千ラーメン、半世紀の軌跡。2

Topic.5

からし蓮根の未来。次なる一手は?

からし蓮根の未来。次なる一手は?Murakami Karashi renkon

熊本県熊本市村上カラシレンコン店

職人技術を継承し続け、創業から60年を超える老舗の名店。多い日は1日に1,600本を製造。年間20万本以上のからし蓮根を作っている。

「“お酒のおつまみ”から、“ご飯のお供”へ進化させたいとずっと思ってるんです。」と村上さんは楽しそうに話す。食べ方、売り方、ネーミング、他業種とのコラボなど常に新しい発想を求めている。湯がいた蓮根の穴にからし味噌を詰め、衣をつけて揚げたからし蓮根は350年ほど前に滋養強壮の食として生まれた。地元では正月のおせちに必ず詰めるほど愛されているが、最盛期に48軒あった店は現在15軒まで減った。「嘆いていても仕方ないんです。時代の変化を捉えた商品で裾野を広げないと。」と村上さんは前向きだ。多少奇抜なアイデアでもいい。これまでからし蓮根コロッケや、からし蓮根バーガーを開発してきた。こんなふうに変わり種にチャレンジできるのはからし蓮根に自信があるから。先代が現役の時に実家に戻り、技術を体で覚えた。それから25年以上経ち、500万本以上作り続けてきた自信と自負がある。伝統のからし蓮根とアイデア商品をぜひ食べ比べてみてほしい。きっと次の新商品が楽しみになる。

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こだわりは、からしにあり。普通は和がらしを使うが、村上カラシレンコン店は洋がらしを使っている。軽くて爽やか。キレのいい辛みと歯ざわりが特徴だ。

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